けいとです。
僕は写真を撮ることが好きです。
旅行や遊びに行くときなどはもちろん、普段の休みにもカメラを下げて家の近所や最寄り電車の路線で適当な駅に降りて、その周りを散歩しながら写真を撮ったりもしていました。
友人もそれを知っているので、結婚披露宴の2次会でカメラマンを任されたこともあります。
そんな僕が、『写真を撮ることの楽しさ、面白さ』について、思うままに書いてみたいと思います。
写真ってすごくいいもの
今や日本中誰もが持っている携帯電話やスマートフォン。
そこに高画質のカメラが標準搭載されるようになり、最近ではsnowなどのカメラアプリやInstagramなどの写真専用のSNSなどもあったりと、十数年前に比べて『写真を撮る』ということがごく当たり前になっています。
なのでこれから述べることは、おそらく今の日本では実はほとんどの人が経験していることかと思います。
ただ、「当たり前のように写真を撮っている」からこそ、「気付けないこと、忘れてしまっている気持ち」などもあると思いますし、それに触れることでより写真が楽しくなるということもあると思います。
これはもちろん自分にも当てはまることなので、自分が忘れかけている気持ちを再確認するためにも書き出してみました。
瞬間を切り取れる
まぁ当たり前といえば当たり前なのですが笑、やはり一番はこれですね。
同じ場所や同じ物でも、それを取り巻く環境がまったく同じということはほとんどありません。
天気だったり光の加減だったり、 その写真が撮れるのはまさにその瞬間だけなのです。
その一瞬を切り取ってずっと残すことができること。またその一瞬を誰かと共有できること。
シンプルですが、これが写真の一番の醍醐味かと思います。
風景を写すだけじゃない
上の項目と少し似た話になりますが、写真は被写体や風景だけでなく、その瞬間の『空気感』のようなものも切り取っています。
光、気候、風、熱量、流れ、雰囲気、会話、気持ち
こういった『直接的な被写体ではないもの』『目に映らないもの』も、実は写真にはすべて含まれていると、個人的には思っています。
たとえば一枚の写真を見たとき、「あぁ、あのときはここに行ったな」だけでなく、「あのときは寒かったな」「ここでこんな話をしたな」「このときはこんな気持ちだったな」などが思い起こせることはないでしょうか。
ただ風景を残すだけではなく、その瞬間の空気、人の内面まで残すことができるのも写真のおもしろさのひとつです。
自分の世界を形にできる
写真の撮り方にはセオリーはありますがルールはありません(最低限のマナーはもちろんありますが)。
別の人が同じものを撮ったとしても、距離、角度、各種設定、タイミングなどは千差万別。
その写真は「自分だけの一枚」になります。
しかも写真を撮り続けることで、それが自分だけの百枚、自分だけの千枚に増えていくわけです。
こうなればそれはもう、自分だけが見てきた自分だけの世界です。
それは他の誰にも作り出せない、自分だけの宝物になると思います。
レンズは人間の目とは違う
目には映せず、写真には写すことができる景色があります。
たとえば低い姿勢から高いビル群を撮った時、ビルが写真の中央に向かって伸びているように写ったり。
接写で花を撮った時、雄しべと雌しべや花びらの繊維がキレイに写ったり。
光が反射しているところをバックに撮った時、その光がキラキラした玉ボケになったり。
そういったものを人間の目で感じることは難しいですが、写真であれば形にすることができます。
また少し意味は変わりますが、写真にはレタッチ(加工)という強い味方がいます。
これはどこまで行うかは個人の好みにもよりますが、曇った空を晴れ空にしたり、くすんだ色を明るくしたり、実際の目で見えるものとは少し違った景色を作り出せるのも写真ならではの楽しみ方ですね。
自分が写ることができる
これは写真の楽しさや面白さとは少し違った話になりますが、個人的にはこれが結構大事なのではないかな、と思っています。
人は基本的に自分で自分を見ることができません。
鏡に映った自分を見ることはできますが、それはあくまでも「見ようと思って見ている」ものであり、自然体でもなければ周囲との繋がりを感じることもありません。
自分の見た目自体の好き嫌いはあると思いますが、写真に写った自分を客観的に見ることで周囲との繋がりや存在を感じられたり、自分でも思っていなかった表情に出会えたりすることがあると思います。
ちなみにこれはホテルで髪を濡らして寝癖を直してる僕ですね。
まさか外から見たら、こんな器に溜めた水を飲んでるように見えるとは思っていませんでした。
そういうことじゃない気もしますが、そういうことです。
見える世界が変わる
これは写真をよく撮る人にしかわからない感覚かもしれませんが、本当に世界が変わって見えるようになります。
どういうことかと言うと、写真をよく撮るようになると、ちょっとしたものや一見当たり前に見えるものでも魅力的な被写体に見えるようになります。
ここまで来ると普通にオタクっぽくなってしまうのですが笑、普通に歩いているだけでは見向きもしないような建物、道、雨粒、街灯や雑草まで、何もかもがそこにしかないもので、今しか触れることしかできないものです。
そう思えるようになると、今まで何とも思わず見ていた世界がとてもきれいなものに見えて、いろんなものに目を向けるようになります。
そうすると何の変哲もない場所でいい写真が撮れたりして、さらに写真を撮るのが楽しくなるという、とても良い循環が生まれます。
これはいわゆる「インスタ映え」を狙うような被写体や旅行先などで写真を撮ったときよりも、家の近所を散歩して撮ったときのほうが強く実感します。
自分の住んでいる街もいいもんだな、と思えますね。
おわりに
いかがでしたでしょうか。
写真を撮ることの楽しさや面白さ、写真の良さを自分の思いつくままに書き連ねてみました。
途中で何度か語りすぎてるような文章や大げさな言葉もありそうですが、自分としてはそれくらい写真は奥が深いものだと思っています。
また、挙げたものはどれも「写真の上手さ」はほとんど関係しません。
一眼レフだろうがiPhoneのカメラだろうが関係ありません。
何気なく撮った一枚、インスタ映えを狙って撮った一枚、大好きな人たちや景色を撮った一枚、そのどれもが素晴らしい一枚であり、写真の楽しさを味わえる一枚になると思います。
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[…] (カメラの楽しさについては「写真を撮ることの楽しさ」の記事をご覧ください。) […]